長靴と天使おじさん
昨日は雨でした。
長靴を履いて買い物へ。
腹ごしらえに牛丼屋をに入ったんだけど、ニューフェイスらしき店員さんがいて、多分over60歳なのね。
で、すんごい満面の笑みで接客してくれて、かわいいんです。
清々しい気分になりました。
見習わないと。
多分、接客の基本は笑顔。
人は初対面の数秒で相手への印象が決まるといいます。
普段、お店に入り「いらっしゃいませ」は聞くけど、顔は笑ってない。
「いらっしゃいませ」は歓迎の現しだけど、歓迎されてる気分はしない。
そんなのは慣れっこだから気にしないけど、実際に微笑み付きの「いらっしゃいませ」を経験したら気持ちいい気分になります。
その経験はたぶん「感動」なのだと思う。
自分もそうだけど、またリピートしたいなぁと思うのはその場所場所で「感動」があったとき。
凄く美味しかった、楽しかった、きれいだったのに、また行きたいと思わないのは、感動がなかったのでしょう。感動があったなら、また行きたくなるのかもしれません。
感動を感じとる心をいつまでも持ちたいと思いながら、自分もいつか、感動を感じて貰えるような振る舞いが出来るようになりたいなぁと思いました。
牛丼を食べている最中、おじさんニューフェイスさんは、備え付けのドレッシングの詰め替え作業をしていました。
あらかた全部(20本くらい)の詰め替え作業が終えかけたとき、若い店長さんに「今は梅雨時だから傷みやすいです。半分位で良いんですよ~」といわれ少しシュンとしていましたが「はいっ。すみません。今後気をつけます!」って言ってた(^^;)
自分は食事が済み帰るときに、また満面の笑みで「ありがとうございました!」って言ってくれました。
60歳overで再就職なんだろうなぁ。
働かなきゃいけないのか、働きたいのか、働かせられているのかなぁ
自分は歩きながら、なんて言うの、感動のいらっしゃいませを聞いて、60歳のおじさんの背後にあるものとか、どんな仕事してきたんだろうとか考えてしまいました。
ヘンでしょ。
たぶん、ピュアな笑顔の特権は若い人のものっていう固定観念があったのかな。
それには世間に染まっていない、綺麗なもの、疑うことを知らない、苦渋などまだ味わってないひとだけが見せられるもの。と。
おじさんはおじさんなのに、60過ぎて働かせられているのかもしれないのになぜ心からの「ありがとうございました!」を出せるの。
もの凄く苦労しての、色々乗り越えての達観した人だったのか。物事の本質を見通すことが出きるようになると言うのは、難しい言葉を並べ使わず、最もシンプルな方法でコンタクトしてくるのか。
むむむ。それとも、もともと普段からニコニコしている人で接客に向いてる人だったのか。
どっちにしても…魅力的ですね(^^;)
あれっ?
こんど会ったら「お仕事がんばってくださいね」って言ってしまいそうな僕。
次に入ったミス○ードー○ツで能面のような「いらっしゃいませ」を聞いたとき、少し笑顔で言ったらいいのにって心の中で思ったんだけど、そんなんじゃ自分はあの見習い天使おじさんになれないぞ!って思った。
なんか変な日記だ。